衒学記鳥の日樹蝶

メイン記事が数学にシフトしてきたブログ。

ブロガー志望、稼ぎたいのです?

そういえばこの記事で5つめの投稿です。

最初の記事で言っていた、「5記事書けたら自分を褒めよう」 はクリアです。

よく最初で飽きなかったね、えらいえらい。

次は10記事に向けてまた進もう。

 

と言っても、「最初にこういう内容で記事を一つ書こう」と概要を決めておいたんですね。

ところがいざ書き始めると思うことが膨らんできて、ブログの一記事にするには長いことになりそうだと、次へ次へ引っ張ったら5つになっちゃったという訳でして。

さほど書くことに困らないで続いたのは、あらかじめ大まかに決めておいたためでした。

なーんだ。

今後更新し続けていく上で「ブログ記事用の適量なテーマの区切り方」というのが、大事な技術になりそうです。

 

さてさて、今回のお話です。

稼ぎたい

そりゃ誰だって稼げるんなら稼ぎたいでしょうさ、おうともさ。

でも「お金を稼げれば何でもあり」だとは、おそらく誰も思っていないでしょう。

そこにある条件の線引きは人それぞれの信条で変化します。

 

あらん限りの体力と時間を注ぎ込んででも、目標のために手段を問わずお金を稼ぐと決めた人だってあるでしょうし、

昨今話題のミニマリストと呼ばれる人たちであれば、望む最小限度の収入だけ手にできればそれで良いということになります。

 

自分のそのような線引きがどこにあるのかを考えてみるために、「私は何故お金がほしいのか?」という質問について考えてみます。

 

お金欲しい

でもそれはどうしてだろう。

 何にお金を要すると思っているのか、その答えがその人の金銭感覚であり、その人の生活圏とも言える訳です。

私は社会の荒波に揉まれてもいないペーペーですので、見積もりが甘いかもしれません。

それはそれとして現状何が語れるか記録することで、方法論としてだけでも前進することくらいは敵うでしょう。

てことで考えると私の場合、

  1. ライフライン
  2. 奨学金返済
  3. サービスの享受
  4. 貢献コスト

大きくわけてこれくらいでしょうか。

1のライフラインは字のごとく生命線、電気ガス水道代やら家賃保険食事代通信費などなど。

 「これがないとやってられませんわ」と思われる最低限度の維持費ですね。

2の奨学金返済はそのまんまの意味です。

お世話になったのだからちゃんとお返ししない訳にいきませぬ。

3から少し毛色が違いますね。

1、2は身体的・社会的生存欲求に根ざすものでしたが、3のサービス享受は基本的な飢えが満たされてから湧き上がる欲求だと思われます。経験への欲求と言いましょうか。

旅がしたいとかおいしいもの食べたいとか新型ガジェット買いたいだとかかんとか。

そして4の段になると自分の物的欲求から視点が離れて周囲に何かしてあげたいという社交性の段階になります。

裏返せば自分の姿を認めて欲しいという承認への欲求とも読めます。

承認欲求

段階的な箇条書きにしてみましたが一番大事なのって実はこれなんじゃないかと思うのがこの承認欲求です。

「何故お金がほしいのか?」という問いに面して、実はそんなにお金そのものを欲してる訳ではないんだと気づかされます。

お金を稼いで直接何かしたいのではない。

けれどもお金を稼いだってことは、遊びで無為に時間を潰したのではないと認められるんじゃないか。

社会的一般ではないけれど、あなたの子供はしっかりと有意義に生きているんですよ、と暗に示せる有効な手段が、

現代では「お金を稼ぐ」という行為にあたるんじゃないでしょうか。

 

私は認められたい、ただそれだけなのかもしれませんね!

でもその思いが「生きがい」へとつながっていくのでしょうね。

 

承認をめぐる病

承認をめぐる病

 

 

 

図らず素人が心理学を振りかざすような口ぶりになりましたが、案外たんじゅんなのかもしれませんね。

段々方向性が怪しくなってまいりました。

明日はライトなテーマでさくっと書きたいですね。

ではでは。