i + 86番目の日記蝶

白紙のページにどうして言葉は積もるのだろう。学習と自己表現と新しい生き方のための試行錯誤ノート。

記録行為もまた一つの体験である、という気づき

 四百字の掌編は良い、と閃く。「良い」ということの意味を吟味しないままに。

 日記というものを良いと思っている。

 記録という営みに左右された数年だった気がする。大学時代から、ノートの一元化という主義に出会い、傾倒した。形式を統一すれば筆記具を持ち替えられる、アナログゆえの自由度から、試行錯誤に幅を利かせて結局実験的に散乱する羽目になる。

情報を最小断片の集合として編纂すれば、統一されたバラバラという止揚になると奮起。今度は断片を整える作業が億劫になって生来のずぼらの業に呆れる。

 名前をつけることの弊害に、同じカテゴリーに名付けられたものを同質だと錯覚させてしまうことがあると思う。

記録と一言で括る内実はノート記入やカード貼付や表の作成やら編集何やら、知的作業の深さも異なるのだ。日々の記録という体験自体もまた一様でなどありえないのだった。