衒学記鳥の日樹蝶

メイン記事が数学にシフトしてきたブログ。

アイデアをメモする時の自身の癖

先日、入浴の際にぼーっとしながらの覚書き用のメモ帳の一ページにこんなメモを残していました。

@idea:生産性(クリエイティブ)とは?

娯楽との兼ね合いで持ち出される「生産性」について、

 

娯楽という快感行動は、消費と生産にまたがっている。

 

どんな行動も、経験値という潜在的パラメータを増加させる行いだ。

 

つまり経験を開示することが、他人からして消費ではない行動=生産となる。

 

ーーー生産とは、「表現」である。

 たまたま読み返していてこの一ツイート程度の記録を目にして、私のメモのめんどくさい癖に気がつきました。

つまりそのまま読んでも意図が掴み取りにくいくぐもった(カッコつけた、気取った)言葉遣いを好んでいること。

そして途中の論証をすっ飛ばして主張だけポンポンと放っていく非常に簡素な走り書きであること。このことによって、考えたことを他人に伝えるとき(自分で思い返す場合も含めて)、主張の行間を補うまどろっこしさが付きまとうこと。

 

この改めて気づいた癖は、割と言うまでもなく深刻にブログで綴る中程度の文章へも現れていて、行間を補うための文章自体にさらに補足説明を加えなければならないような、それはまあしんどい状況を生み出す原因に繋がっていたりもするようです。

さらに加えてこの癖は私というパーソナリティを形成する要因に良くも悪くも寄与しているのだなぁとすら思われます。諧謔的で衒学的なめんどくささ、割合好物です。

 

ところで先のメモの行間について、本記事では内容に踏み込みはしなかったものの「アイデアを掘り下げる」という過程に実験的興味が湧いてきたので、中途の論証についてはまた他の記事にて試みたいと思います。

私はアイデア(中身)以上に、アイデアのフレーム(外枠)いじりに興味が湧く類の人間のようです。

 

あ、あとこの「ブログを書く」という行為自体は嫌いではないものの思いついたことを自己「解読」するにも過去のメモを読み返すにもどエラく時間がかかるので、週一ぐらい(現在の生活サイクルからして土曜日辺りかな?)のタイミングでいっそ丸一日たっぷりと書き物の日を設けてみてはどうかと考えました。間違いなく2・3時間では済まないでしょうからそれはそれはもったいぶった自己満足が得られるのではと予感しています。