一万文字打鍵についての話って以前したことがあったっけ?
リアルタイムで文字数を表示してくれて、
文章の形式や見た目をいじりやすくて、
ブログという形で発表できる連携が容易で、
毎日立ち上げるのにストレスなく表示されて、
そんなわたしのニーズに合った打鍵するプラットフォームって、ありませんかね?
というか狭いわたしの知る範囲ではここ、はてなブログがベターな環境ではあったりするんですよね。記事を書くページが少し遅い立ち上がりですけど。
毎日一万文字の日記をつけよう、と思い立って頑張っていたことがあったんですよ。
今思うとよくもまぁ続いたよなと驚くんですが、当然めちゃくちゃ大変なんですね。
記憶では一月どころか二週間も続いてはなかったんじゃないかと思うんですけれど、だいたい平均6000から7000文字ぐらいの文量を吐き出し続けていたんですね当時。
学生の時に、ポメラという文庫本ぐらいに折りたたんで携帯できるインターネットに繋がない文章入力端末を3万円ぐらいで背伸びしてヨドバシカメラへ買いに行って。
その打鍵習慣は長く続きはしなかったんですけれど、どこへ行くにも持ち歩いてパッと広げて文字を打ち込んで、たくさん遊ばせてもらいました思い出。
で、今日ふとそのことを思い出したきっかけが、あるクリエイターさんがライブ観てきてとっても感動したよーという話をしていたのを聞いていたんですが、そのプレゼンに非常にそそられたんですね。
いかにそのライブが素晴らしいもので、自分はこういうことを気付かされたんだ熱意を奮い立たせてもらったんだということをいろんな言葉で説明で切々と語る様に、聞いているこちら側までその感動が伝播してきて熱くさせられたのでした。
やっぱり常日頃からクリエイターを生業として自己表現に心血を注いでいる人たちって、表現媒体が違ってきても身の内を語ることについて自ずと長けてくるんだろうなと感じたんですね。
元々の聴かれたライブも素晴らしかったんであろうと思われるんですが、いやそれをこうも語れるというあなたたちもすごいんですよと思い、少し羨ましかったんですね。
あー自分もあの人達みたいに人を揺さぶる語りができるようになってみたいなーだったら物量をこなせば追いつけるだろうか、とまで思考は流れて思い出に至った訳でした。
だけどここまで書いて930文字、薄々思っているのはこの「修行」方法じゃあの人達の揺さぶる語りにはなかなかたどり着けないんじゃないだろうかということ。
一万字打鍵は本当に書くことがなくなるんですよ。
その日一日中であった出来事、感じた思い全てを書いてもせいぜい3000文字ぐらいで、事実を書き尽くしたその先の5000文字は自分の思考力との勝負なんですね。
あった出来事、感じたことからどんなことが考えられてどういうことが言えるのか。
ぼんやりとしていては全然埋まらない原稿用紙の白紙に次第に打鍵が重りになってきて、そして習慣は幾度と途絶えることになってきたんですね。
ところがそうまでして日々、語りを絞り出していたとしてもどうも目的に適ってる気がしない。